ぬくもり

泥のように眠るとはきっとこんな感じなんだろう。背中に固くも柔らかくもない畳の感触。6畳に人が点々と、時々折り重なるようにして寝ていた。見たまま雑魚寝というやつ。体は寝ているのに頭だけは妙に判然としている。自分の寝息が遠くに聞こえる。まだ覚醒途中だ。体に熱を感じない。呼吸は浅く間隔が長い。ここは狭いけれど良い具合だった。暑くも寒くもない。一人で眠れないためにこうして雑魚寝になるけど、手を伸ばせば人の背に届く距離。半ば夢見心地でまどろんでいるとぼんやり母のことを思い出した。

家族が寝静まった後頭から足首まですっぽり包まっていたタオルケットから抜け出して、隣で眠る母の顔を覗きこむ。電灯の豆電球もついていない。パジャマに着替える時、暗いと怖くて寝られないと泣き言を言ってみても部屋は真っ暗なままだった。家の前には小さな公園があって、夜は街灯がつくからとても明るかった。その明かりが締め切られたカーテンと窓の隙間から漏れている。それでもずっとずっと暗かった。暗闇の中で頼りない光を受けて浮かび上がる母の顔は黒かった。きっちり閉じられた両目。一文字につぐまれた口。その当時、目を瞑って微動だにしない生き物が眠っているのか死んでいるのかの判別ができなかった。飼っていた小鳥やハムスターが死んでも、それは自分がどうぶつのお医者さんじゃないから、本当に死んでいるかなんて分からない、だから埋めてはだめだと喚いたりした。いま目の前で横たわっている母がちゃんと眠っているのかすぐには分からない。もしかして眠っているように見えるけど何か急な病気で、本当は死んでいるのかもしれない。そうして不安になると、夜な夜な起きだしてきて母の黒い顔をじっと見つめて確認する。顔ばっかり見ていて分かるものでもなくて、呼吸で胸が上下しているかとか、耳をそばだてて空気が鼻腔を通る音を聞いてみたりする。ああ、大丈夫だと思えたらまたいそいそとタオルケットに全身を収納して眠りにつく。
今思い出してみても、それは結構な頻度でやっていたからおそらく母も気づいていただろう。翌朝起きてきて朝食が用意された食卓へついても、何も言われなかったけれど。

記憶を掘り返しているうちに体も起きてきたようだった。頭と四肢に熱い血が巡って来る。温まった体を起こして宙に向かって両腕をうんと伸ばした。支度をしないと。隣で横になっていた男の顔がちらりと見えた。やあ、白い。黒いよりもずっといい。窓にほど近いところでのびている女は何故だか干上がった水たまりの中で眠りこけている。眠っているのなら問題ない。起き抜けの体はまだ少しだるかった。大きな欠伸を一つして、鍵をドアの郵便受けに落としたら家を出る。空はまだ白んでいる。日が昇る前にどこかでコーヒーを飲もう。階段をカンカン鳴らして出かけていく。ああ、別れがたい良い夜だった。

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